コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

本当に行きたい場所

 四国に行ってきました。

 徳島(通過しただけ)→香川(栗林公園とうどん)→愛媛(通過しただけ)→高知(ネカフェと桂が浜と高知城)。

 一応四国制覇したことになるんですかね?w

 

 今回の投稿の結論は

 

 「本当に行きたい場所」に「本当に行きたい人と行けること」ってもしかしてすごい幸せなことじゃないかってことです。

 

 いきなりどうしたって話なんですが、僕ずーっと高知行ってみたかったんです。坂本龍馬の影響もあるし、なんとなく四国に憧れていたのもあるし。

 

 で、念願叶って行けたわけです。でも、何かがおかしいんです。何かが。

 多分日本で一番行きたかった場所に行けたのに何かがおかしいんです。

 なんだか心がもやもやするのです。

 

 あ、状況を説明すると同期と三人で行ってきました。

 親睦を深めるとかいう大義名分よりも、僕はとにかく高知に行きたかったので海岸も龍馬記念館も高知城も皆フリー行動しました。時々集まって。(車の中とかご飯は親睦深めましたよw険悪にもなってやばかったですがww)

 

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 で、海をひたすらボーッと眺めていたんです。岩に登って20分ぐらい。

 龍馬もそうなんですが、僕、高知っていう土地にすごい憧れてたんですよね。理由はよくわかんないけど。だからこの海もなんだか感慨深い海でした。

 

 そう、ここは「本当に来てみたかった場所」

 

 で、ボーッと眺めて自分のちっぽけさを知って平和な気持ちになった。

 で終わらないんですね。私は残念ながら(笑)

 

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 心の中はどっちかというと、こんな感じでした。色んなことがわき上がってはぶつかります。小さいとは思いつつも、より顕在化して脳みそが動いてました。でも感動もしてるのです。

 仕事のこと、同期のこと、人間関係のこと、自分の感情のこと、龍馬じゃないけどこの国の(農業の)こと。

 

 僕は独りで来てたらきっと、もっと、ずーっと居たことでしょう。そこで何かを書くか、ぼーっとしてるかは分かりませんが、ずーっと居たことでしょう。

 

 答えなんていらない。でも、ただ自分の内面と正直に向き合って思う存分感動できる時間。独りできてたらもっと味わえたのかな。

 だから、「本当に行きたい、大切にしたい場所」には誰にも気を使わなくていい、独りでくれば良いんじゃないかと思っていたのです。

 

 でも、もう僕のなかのもう一つの感情がこんなことを言います。

 

 「この場所を時間を何かと誰かと分かち合えたら、どうなるんだろう。」

 

 で、最近もしかしたらそんなことが出来る可能性があるんじゃないかって期待しちゃってる自分が居るんです。自分の、誰かの、「大切を共有できる」可能性をちょっとだけ感じているのです。

 

 そんな感覚が嬉しいような、怖いような。

 ただ、本当に好きなものこそ、独りで見ていることがひたすらの解決策だったはずなのに、もしかしたら隣に人が居てほしいんじゃないかと思ったりする。すごく不思議な感覚。

 

 先生に貰った本に

 

 「僕のタイプ(ウイング含めて)は人生の重要な人物に強く同一化します」

 

 と書かれていた。

 

 もしかして、これが答えなのか?無意識に「同一化」しようとしてるのか?

 そして、それは他の人から傲慢な迷惑かもしれない。同一化の正体も分からない。

 

 でも、

 

 本当に行きたい場所に一緒に行きたい人と行けたら、それはすごく幸せなんじゃないか。

 

 そんなことを思ってみたりしたのでした。

 今まではそれをただひたすらTwitterに書いてたからね。