コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

アウトプット

 こんにちは。ゴールデンウィークが終わってしまいました。

 今年のゴールデンウィーク(4月末からの広義で)は茨城旅行に始まり、

 送別会→お休み→送別会→メーデー(休み)→仕事→売り子→ゴルフ→いとこ→鎌倉でした。

 最近は結構社内で飲みに行っています。

 仕事ができるってなんだろう。と思いながら過ごしている感じです。

 というのも、まだ僕の手元に大きな仕事はありません。

 「これをいつまでに仕上げなくては!」という類いのプレッシャーと今は無縁です。(無縁といってはいけないんですが)

 そして、余裕がある分だけ「仕事できるね。」なんて言われてしまったりします。

 本当に皆さん誤解というかお世辞が達者すぎます。

 一方で仕事している先輩が怒られているのを目にして最近思うのが、

 「アウトプット癖」が自分に足りなすぎると思うのです。

 この「アウトプット」自分の思考やらなんやらこのブログもさぼり気味なので気をつけないとどんどん脳みそ使わない人になっていく感覚が少し怖かったりします。

 

 まずはとりとめのないことから書く習慣を復活させましょう。

 というわけで、今日は「入門:三国志のはまり方」です。

 

 まず、三国志とは魏・呉・蜀の3国の国取り合戦!だけではないのです。

 

 群雄割拠の時代から紆余曲折を経て3つの勢力が中国全土を分け合う形になる。

 これが前半です。つまり、魏・呉・蜀と呼ばれる迄のお話です。

 そして、その3国で領地の取り合い(独自拡大)が行われやがて統一される。

 これが後半です。つまり、魏・呉・蜀での国取り合戦になります。

 そして最終的には魏を母体とした(魏は滅ぼされ)晋という国が出来上がる。

 何にスポットを当てるかで切り方ももちろん変わってきますが。

 

 そして、その「書き方」は作者によって大きく変わってきます。

 

 平たく言うと「誰を英雄(主人公)にしたいか。」が作者によって違うのです。

 主人公を誰にするかで物語の様相は大きく変わります。

 今回はその点について少し書いてみようと思います。

 

 例えば、蜀(劉備関羽張飛)のなかで、劉備はボスとして

 吉川さんは関羽寄りに書いています。

 北方さんは張飛寄りに書いています。

 

 象徴的なシーンが関羽曹操のもとを離れるときの行程です。

 吉川さんは各関所毎に門番を登場させてどのように関羽が打ち破ったか描写しているのに対し、北方さんは「関羽は約束通り曹操のもとを離れた。」ぐらいの書き方です。

 また、北方さんは吉川さんでは一切登場しなかった張飛のお嫁さんを登場させて、張飛を実は気も使える人優しい人のような立ち位置にしています。

 

 北方さんは「豪傑」と呼ばれる男を「愛すべき人物」にしたいのだろうと思います。

 僕はこのように人物描写に作者の想いが入りまくるのは「好き」ではないんですが、これを別々の一小説とみると当たり前のことではあるのです。

 

 そう考えると、歴史小説とはポイントが決められて居る中での作者の想いをふんだんに盛り込んだものと考えることが自然なのです。

 個人的な好みで言うと「いや、いいからその人の人となりを正確に書いてくれ」とか思っちゃう人なんですが。それが読み比べの楽しさでもあると思うのです。きっと。

 いつか歴史書に手を出したいような、それが究極に自分が求めているものだと知りながら物語の世界を散歩していたいような、そんな想いに駆られるのがこの小説です。