コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

役割

 おはようございます。

 昨日はなんと21時30に夢の中へ。

 割と早く会社を出たのでよさげな美味しいごはんの食べれるカフェに寄って帰ろうと思っていたものの見つからず、家についてしまいましたwそして仮眠のつもりが起きたら朝。

 まぁよくあるやつですね。たくさん睡眠とれたと前向きにとらえることにします。

 

 電車にのっていて、ふと

 「役割で生きているなぁ」と思いました。

 一方で役割が定義されないときはどうも動きにくいなぁとも思いました。

 

 たとえば仕事。社会の中で農産物の流通をするという役割を占める組織に居て、その中でシステム化を考える部署に居て、そしてシステムの安全稼働を考える仕事をしていて、その中で進捗管理や調達関係のことをしています。

 これが簡単に言うと自分の役割。

 思えば家庭でも仕事をしてお金を稼いでくるのが父、家を守るのが母みたいに。

 そしてこのことは段々習熟していくのです。

 それがいわゆる「仕組み」化された状態だとも思うのです。

 

 個人的にはこの役割という分担はすごく楽なのです。

 この役割を全うする。という使命感のような、後ろ盾のようなもの。

 そういうのがあったほうが軸をもって動ける気がするのです。

 これはこの役割の延長線上でできることだから。この役割をしてみたから必要だと感じるから。

 といった感じで。

 裏を返せば自分で軸を作って動くというのはどうも苦手なようです。

 

 なので、自分の得意だと思うことは役割の中で少し広い視野で見ることじゃないかとも思うのです。

 それはそれで役割を超えて楽しそうなことを見つけてそっちばかりに行ってしまうなんてこともありますが。

 

 と、ここまでつらつら書いてきてみて

 

 分裂(7番)の良いほうの状態 ⇒ 役割を超えて動くことができること。

 本来(5番)の状態      ⇒ 一歩引いたところから見れること。

 統合(8番)の状態      ⇒ 何かを主導していくこと。

 

 と、ざっくり書いてみると悶々と考えていたことの結びつきがあるような気がしてきますね。

 

 と、こんなことを考えているよりもとっとと胆力の試されるようなことをやりましょう。ってことなんですけどね。

メリハリ

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11384546

 

 ようやく風邪が治ってきた感じがします。

 この2週間は色々とやられていました。やる気は出ないし。他人に厳しくなるし。

 あー寝たい。すべて忘れられる時が寝てるとき。みたいな感覚。

 

 今日もそんな感じではあるのですが、悶々悶々としていて、そんななかなんとなく思ったことを書き残しておこうと思います。

 

 メリハリつけること。

 これがずっとどうも苦手です。なんかだらだらしてしまう。なんかうじうじ考えてしまう。なんかあれが気になってこれが手につかない。

 自然と熱中しているときはいいんですが、割り切る必要があるんだと思うのです。

 「それを夢見るだけじゃだめだよ。」

 

 熱中できそう!と思って始めることは人生経験上あまりないので、

 やってくうちに熱中するものなので、

 きっとメリハリつけていたらそんな時も一年に一回くらいは来ると思って。

 

 それをやって生きてみよう。

 

 思えば学生時代勉強できてたなぁと思うのは時間もあったのも確かではありますが、熱中に妙な憧れを抱いていなかったこともあると思うのです。それはすごく冷めていたともいえるんですが。

 

 ただ、今はそのころとは経験を経て実感値も変わっているので、今は今なりの方法でメリハリつけて生きてみようと思います。

 

 さぁ、月曜日。少しは楽になったかな。

プロ意識

 仕事は「プロ意識」をもってやるものだ。

 そんなことを思ってそんなことができたらいいと思って始めたベスキャリ時代。

 

 プロ意識=いいからやる、やりきる。

 

 みたいな、そんな解釈だったわけです。

 翻って最近思うのがそんなことは言っても当時は「熱狂」に近いものの中にあったなと。意識すればどうにかなるところの先にあるもので動いていたような気がします。

 

 たまにそんな状態に入る。

 責任感も期日も、モチベーションになるような感じ。

 

 どんなに「意識高い」を装ってもこの状態にもっていく、もしくはもっていけなくてもそれはそれで受け入れてやり切るのがきっと大事なんだろうと思う。

 

 まだ仕事の「やりがい」に近づけていない感じが、いい加減そろそろ見えてくれよとか思っている自分がいる。

 最近は体調不良も含めてあまり脂がのってる感じがしないので、(おなかだけは脂のってきたけど)こんなことをぐるぐる考えているんだろうなぁ。

 と、まぁそれでもここに残しておきましょうか。

 

アウトプット

 こんにちは。ゴールデンウィークが終わってしまいました。

 今年のゴールデンウィーク(4月末からの広義で)は茨城旅行に始まり、

 送別会→お休み→送別会→メーデー(休み)→仕事→売り子→ゴルフ→いとこ→鎌倉でした。

 最近は結構社内で飲みに行っています。

 仕事ができるってなんだろう。と思いながら過ごしている感じです。

 というのも、まだ僕の手元に大きな仕事はありません。

 「これをいつまでに仕上げなくては!」という類いのプレッシャーと今は無縁です。(無縁といってはいけないんですが)

 そして、余裕がある分だけ「仕事できるね。」なんて言われてしまったりします。

 本当に皆さん誤解というかお世辞が達者すぎます。

 一方で仕事している先輩が怒られているのを目にして最近思うのが、

 「アウトプット癖」が自分に足りなすぎると思うのです。

 この「アウトプット」自分の思考やらなんやらこのブログもさぼり気味なので気をつけないとどんどん脳みそ使わない人になっていく感覚が少し怖かったりします。

 

 まずはとりとめのないことから書く習慣を復活させましょう。

 というわけで、今日は「入門:三国志のはまり方」です。

 

 まず、三国志とは魏・呉・蜀の3国の国取り合戦!だけではないのです。

 

 群雄割拠の時代から紆余曲折を経て3つの勢力が中国全土を分け合う形になる。

 これが前半です。つまり、魏・呉・蜀と呼ばれる迄のお話です。

 そして、その3国で領地の取り合い(独自拡大)が行われやがて統一される。

 これが後半です。つまり、魏・呉・蜀での国取り合戦になります。

 そして最終的には魏を母体とした(魏は滅ぼされ)晋という国が出来上がる。

 何にスポットを当てるかで切り方ももちろん変わってきますが。

 

 そして、その「書き方」は作者によって大きく変わってきます。

 

 平たく言うと「誰を英雄(主人公)にしたいか。」が作者によって違うのです。

 主人公を誰にするかで物語の様相は大きく変わります。

 今回はその点について少し書いてみようと思います。

 

 例えば、蜀(劉備関羽張飛)のなかで、劉備はボスとして

 吉川さんは関羽寄りに書いています。

 北方さんは張飛寄りに書いています。

 

 象徴的なシーンが関羽曹操のもとを離れるときの行程です。

 吉川さんは各関所毎に門番を登場させてどのように関羽が打ち破ったか描写しているのに対し、北方さんは「関羽は約束通り曹操のもとを離れた。」ぐらいの書き方です。

 また、北方さんは吉川さんでは一切登場しなかった張飛のお嫁さんを登場させて、張飛を実は気も使える人優しい人のような立ち位置にしています。

 

 北方さんは「豪傑」と呼ばれる男を「愛すべき人物」にしたいのだろうと思います。

 僕はこのように人物描写に作者の想いが入りまくるのは「好き」ではないんですが、これを別々の一小説とみると当たり前のことではあるのです。

 

 そう考えると、歴史小説とはポイントが決められて居る中での作者の想いをふんだんに盛り込んだものと考えることが自然なのです。

 個人的な好みで言うと「いや、いいからその人の人となりを正確に書いてくれ」とか思っちゃう人なんですが。それが読み比べの楽しさでもあると思うのです。きっと。

 いつか歴史書に手を出したいような、それが究極に自分が求めているものだと知りながら物語の世界を散歩していたいような、そんな想いに駆られるのがこの小説です。

近況

 おひさしぶりにブログを書いてみます。

 新宿に異動してからあんまり書いていなかったですね。

 

 最近の仕事人としての僕は非常に妙な感じです。

 なんか、甘いです。全体的に。つめてつめて考えて考え切れてないです。もうちょっというとそういう必要性を感じていないなぁと思ったりします。

 基本情報の試験を受けましたが、午後試験では久しぶりに「追い込まれるように頭を使う」って感じを体感しました。気持ち悪いけどちょっと楽しい感じ。

 そんな僕ですが、上の先輩方と飲みに行くとやたら褒められます。

 それがすごく妙なのです。本当に何もしてないのに褒められるほど気持ち悪いことはありません。僕に今の先輩の仕事を任せられたら僕の雑さに失望させることでしょう。

 やはり、どうしてもどこかヌケルのです。先日はメールの宛先でヌケました。

 とりあえず、4月に気付いたことは

 「気を付ける」というのはメンタルやら余裕やらに影響されすぎるので、いかにうまく仕組みを創っていくかが大事ですね。というか仕組みを使っていくというか。

 一方で仕組みに頼るのではなく人がやるあたたかさや深さみたいなものが仕事には必要なようです。もう、この「仕組み」と「温かみ」の両方に尽きるのかもしれないですね。片方だけでも物足りないし。

 今の僕が想っているのはこんなところですが、また要素が増えるかもしれないし絞られていくのかもしれません。そんなこと考える余裕もなくなるくらい仕事することになるかもしれませんがねw

 

 続いては、4月末というかつい先日ですが久しぶりの同期旅行でした。

 4か月というのが久しぶりなのかどうか怪しいところですが。

 まぁ、すごく楽し疲れた旅行でした。全力でしたw

 山に登り滝を見て、花を見て、最後の関門は駐車場でした。

 そこで感じたことなのですが、いい意味で「あきらめる」ことって素晴らしいことかもしれないと思ったのです。それは「信頼」にもどこか似たものだと思うしそういうところから何か生まれるのかもしれません。

 ここでいう「あきらめる」はこの部分は多少構想と変わってもいいだろうと思う事でもあります。ただ、それが「考えない」こととは個人的には少し違うところがまたなんともいえないですが、そんな関係性になってきた感じがするのです。

 そして今回は先輩方2人と一緒でしたが、個人的には同期には同期だけの仲があるのかなぁとか、広げる必要はないかなぁと考えていた時期もあったのですが、そこから変化して色んな刺激を受け入れて、そして発信しあえる(それは中にも外にも)できるのかもしれません。

 より、アクティブに。より、家族的な何かに近づくような。

 なんか今後の可能性というかまた新たな方向も見えたような満喫旅行でした。

 

 と、2大要素を書いてみましたが、4月は課の全体像も少しづつ見えてきて5月が楽しみでもあります。4月は色んな人を見て、色んな話をきいた月だったのかもしれません。平成30年と噂される情報システム大改修に向けて。そのころは自分も30歳か。少しは立派な30歳の大人としてその時も迎えたいものです。

 この辺の話はおいおい自分の中で整理してまたアウトプットしようと思います。

 

「新人」じゃなくなる日に「新人」を振り返ってみよう。

 こんばんは。割とご無沙汰でした。ブログ。

 出張中は大変でしたが、出張が終わってからの僕は暇です。

 最近周りの先輩は皆忙しい中とぼとぼ帰っております。。。

 さて、そんな一年目を終えて(気分的には異動の段階で二年目だと思い込ませていたのですが)振り返っておこうと思います。

 切り口もいろいろあるよなーと。

 時系列(4月〜3月)、仕事とプライベート、大きなイベントに焦点を当てる。。。

 

 事実も良いんですが、もう少し絞ってこの一年を書き残したい。

 この1年で自分の中心にあったことってなんだろうと思うと、

 「人」がキーワードになる気がしています。

 この1年間、一番没頭したのはきっとビジネス講座を作っているときでした。それを除くと何かに没頭したというよりは自分自身も含めて人間っていうものを良い意味でたくさん体験出来た、分かってきた奢りだけじゃなく実体として捉え始めることが出来るようになり始めた気がします。

 久しぶりに会った人に「前より話を聞くのがうまくなった。」ということと、「前ほど土足で踏み入るようにズケズケ言わなくなった。」と言われました。そういえば。

 

 その辺のことは後で書くとして一方で仕事において手応えをつかみきれなかったことは心残りではあります。

 じゃぁ何があれば手応えになるの?って話ですが、個人的には「ここまではまぁそれなりにうまくやれるよ。」って領域と「これはちょっとやらなきゃいけないけど糸口から考えないと」って領域がある気がして特にこの後者の時に頑張れれば手応えっていうのはついてくるのかなと思ったりします。

 もちろん、だから成果に繋がるとかそういうわけではなくあくまで自己感覚になってしまうのですが、この感覚の先に段取りみたいなものが見えてくるような気がしています。なので、仕事に関しては自分がどう守備範囲を広げて行けるのかどう考えていけるのかということが今課の皆さん忙しい中で使い物にならないポジではやく帰ることに(それ自体はいいことだと思う)安住してはいけないなぁと思うのです。

 ここに関してはどんな2年目になるのか。

 あと、仕事関連で言うとスタートの方は訳も分からず意気っていて自分はベスキャリやってたし、もう早く仕事頑張りたいわ!と根拠も実績もなく言っていました。さぞあの頃の自分はうざかっただろうということと、やっぱり踏み込み切れない自分と、今は現実を捉えることと日々のライフワークも大事に的な思想が大分強くなっているなぁと感じます。ちょっと懐かしくなったりするのですが、これは仕事が忙しくなった時に考えればいいことかなと思っています。その時の気の持ちようと言うか。

 

 続いては、プライベート(ベスキャリ含)の方ですがむしろこっちからこの1年は色んなことを吸収して、試して自分の勇気のなさや懐の小ささを感じて、それでも少しづつ進むってのはどういうことかを気付いたら考えていたような気がします。

 

 今迄正直そこまで自分を自分ごととして捉えていない方だったのですが、(自己分析とかしてはいましたが)、「あーこう言う人なんだな。自分。」みたいな感じで自分の感覚やらを突っ込む気も、捨てる気も、向き合う気もそんなに無かった気がします。

 だから今はもうばっちり内省もできますよ僕って感じではないんですが、この1年で人と関わってきて自分が自分に自分毎として突っ込むように少しづつなってきた気がします。

 ビジネス講座では一応小さな小さなプロジェクトを回してみたみたいな感じでしたが、メンバーでうんちゃらかんちゃらというよりは自分のことで手一杯だったなぁと。

 手一杯って個人としては楽しいというか妙な充足感があるんですがそれを相手に与えるとかってムズカシイですよね。きっと。チームがどうとか色んな書籍があるかと思いますが、今年はノウハウ本は割と遠ざけていたので分かりませんが。

 

 この1年は自分毎のストーリーが少し書き換えられてきたことと、小説を割と沢山読んでそこでもストーリーから探して行くというようなことをやって、そう考えると特筆してこれに時間をかけた!というわけではないですがあることに時間はかけていたのかもしれません。(ノウハウ本を否定しているわけではないです。)

 

 さて、今日から二年目。そんな今日はさっき仮眠してしまったら起きたら二時でここから寝るのもめんどくさくなってきてますが、とりあえずおやすみなさい。