コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

ワークライフバランス

父親になって20日が経ちました。

有給休暇を使いまくることによりこれまで合計10日ぐらい?は妻の実家に居候しているのですが、子供の成長ぶりを日々楽しんでおります。

ミルクを作る、おむつを替える、ミルクをあげる、ゲップをさせる、高い声で語りかけてみる。すべて経験ですが、習得していく感じが達成感がありますね。と、同時に何を食べると血液や母乳に良いかなど断片的な知識がだいぶついてきました。

栄養学とか学んでみるのも面白そうだなーと思ったり。今度本屋に行ってみようかな。

そして楽しむといっても肉体的にはハードと感じることもあり、夜中に泣き出して全然泣かなかったり、あげたミルクも吐き戻してしまうこともあったりと、会話はできないものの事象が起きたことにはなにか原因があって改善策があるスタンスでのぞむことでスキルが上がっていく感じがします。

 

と、自分は前向きなことをひたすら書きましたが、母親は体の酷使具合も、文字通り四六時中一緒にいるので疲労感が「抜ける」ということがないだろうと想像ができます。

 

それはストレスにもつながるわけで、掲示板の書き込みとかに旦那さんに対して「あれもやってこれもやってそれもやってる私にせめて「ありがとう」の一言をかけてほしい」といったものをよく見かけありますが、たぶん「ありがとう」を言えば「次は行動で示して」となるので、最初から想像できうる限りの行動で示すことが良いのではないかなとも思います。

ただ、やはり男は鈍感なので想像できないことは想像できないし、想像と違うこともあるし、言われたことも一回で習得できるとは限らないので、そこはコミュニケーションで埋めていく必要があるでしょう。

 

これ、仕事の原理原則と同じですね。共通の目的に向かって背景の異なる者同士が目的の具体化やプロジェクト進行を行い、それぞれの立場にたって相手のことを想像しながら、その溝を埋めながらプロジェクトを進行していく。

「タスク分担」は必要ですが、そこに「主担当、副担当」の概念は必要ですし、「丸投げ」は危険です。どこかでハレーションが起きます。「こんなはずじゃなかったのに!」ってやつです。

 

そう考えていくと、仕事は社会の一機能として「分野」や「専門性」といった個性を活かす面がありますがコアスキルは家庭と仕事で実は似ている(家庭でも専門性活きますが)ので、家庭と仕事の両面でフィードバックをもらいながら成長していくような場があれば、かつこれが連動しながらできればこれはなかなか貴重なのではないかと思ったり。これが本当のワークライフバランスってね。

そう思うと、日本の大企業のやっていたその会社自体が村の中心となり、企業城下町を作りそこに複数の家族が暮らすというのはある意味ではかなり合理的な制度だったように思えてきました。集会のようなものもあたわけですし。

ということは少し前はこういったことは当たり前に起きていて今そういった概念がなくなってきたいるからこそ、NPOだとかそういった活動に活動の余地が出てくるのかもしれないな。

 

なかなか考察するに面白いテーマですが、まとまりがなくなりそうなので今日はこの辺で。

2週間

子供が誕生して二週間が経ちました。

出産の立ち合い、出生届の提出、おむつ替え、ミルクづくり、子供をあやす。

いろんな初体験があったせいか、なんだかもっと前に感じます。

そして、子供のこの二週間の成長ぶりはすごいです。

「本当に二週間前までお腹にいたの?」と聞きたくなります。

そして、何よりかわいいし、愛らしいです。

 

産まれる前に「NPO法人ファザーリングジャパン」というところが執筆した本を読んで「なるべくなら旦那さんも育休をとりましょう」と書いてありましたが、うちは里帰り出産なので私は育休をとらず実家のご両親に甘えさせてもらっていますが、夫婦2人でやろうとすると育休は「必須」でしょうね。

そして、一連の家事をやりつつ、奥さんが体を休めるように取り計らうスキルも必要です。これ、かなりハードですよきっと。段取りも必要だし。

 

最近メルカリの小泉さんが2人目の誕生に伴い育休とると宣言しましたが、(とはいえ、金曜日は働いているから育休とは言わないんじゃないか説も)問題は「育休をとる」ことではなくて、そのおかれた環境において価値を発揮するスキルやマインドセットをもったうえで「育休をとる」よう会社に交渉する能力です。

 

何が言いたいかというと、本気で子育てしようとすると、圧倒的な仕事力が求められることをひしひしと感じたということです。

 

そしてこんな気づきを得た自分が今思うこと。

 

・・・・・・そうはならない環境でもなんとかして子育てしてきた世のお母さんたちってまじですごいわ。女性活用というけど、女性にとって出産・育児を経験した人を「スキルフルな人」という視点を持って待遇したほうが確実にいいと思うし、ともすれば男性側も家庭での貢献による仕事能力の向上ならびにそれで仕事に還元されるのであればそこを評価する仕組みを作ったほうが良いだろう。

ついつい「時間」で解決してしまう日本企業だからこそ、こういった心構えが必要ですね。

生命

銭湯は良いです。

何が良いかというと、電子機器を忘れて自分の考えに整理できるのが良いです。しかも熱いお湯と冷たいお湯が交互にくるので、それによって血が巡っている感じが思考を活性化させます。

そして今日も銭湯に行ってきました。

銭湯ではその時々感じたことを整理したり思いにふけったりするのですが、今日は少しプライベート色強めですが、生命について物思いにふけっていました。

 

我が家は今妻が里帰り出産に向けて帰省しているため、平日は一人で、休日は妻の実家にお世話になるという生活を続けています。(ちなみに正月もあったのでかなりの期間お世話になった)

 

もう2週間後に生まれてくる予定の子供の動きは行くたびにどんどん確かなものになっており、その変化に喜びやちゃんと育てられるのだろうかという不安などいろいろ考えるのですが、銭湯にいて思い出すのは不思議なことに亡くなった両祖父とのふれあいの瞬間、瞬間でした。

 

そしてそれを思って少し時間が経った時なんだか視界が開けたように感じました。

 

なんでかなー?ともやもやしていたのですが、感覚的ですが今生というものを強く感じる分、亡くなった祖父のことを強く思い出したのでしょう。

これは生物が本能的にもっているバランス感覚(生と死)といってしまえばそれまでなのですが、ただバランスだと理解したことだけではなく、バランスをとることで心を落ち着かせたうえで、この揺れ動きからこそ学びがあるのではないだろうかと感じるようになりました。

 

思えば、仕事でうまくいったとき、というよりは仕事を通じてよく学んだと感じたときに、周りの人に言われることも「バランス感覚が良い」が多い気がします。

 

そして、自分が視界が開けたうえで感じたことは「愛情というバトンを繋ごう」ということです。これまた抽象的なようなシンプルなような表現ですが。

 

これとも関連しますが、コブクロの曲で最近よく聞く「君への主題歌」という曲に、以下のような歌詞があります。おそらく子供に贈った歌なんじゃないかなあという気がする曲なのですが。

 

『君が輝くとき空が色を変えるよ 遠く離れててもいつでも君が見えるよ』

 

きっと今近くにいる家族も遠くにいる家族もいつでも自分のことを見てくれているのでしょう。そして同じように自分の子供にはこの言葉がかけられるように、新しい生活が始まるうえでなんだか気持ちが開けたのでポエマーのようですが書き残しておきました。

www.youtube.com

 

ちなみに、こんなことをつぶやいてみた私ですが、「ウイコレ」という、試合はコンピュータが自動でやるのでただ試合開始のボタンをおしてオーダーを作ってアイテムを集めてはガチャをするというゲームを横において、時折ボタンをポチっとしながらこの記事を書いています。★5選手獲得まであと少し。

 

とても上の文章を書く人と下の文章を同じ人格の中で同時にやっているとは思いにくいですが、それもまた人間なのです。

一年の始まり

こんばんは。正月休みも終わり、明日は仕事始めです。

こちら側のブログ更新、久々ですね。

先日昨年一年の振り返りをしたので、その振り返りを踏まえて振り返りをしたいと思います。(ちなみにその時の振り返りはジャンルを分けてやりましたが、キャリア関係のことに絞ったことのみ記事にします。)

 

まず、今年のテーマは以下の3つです。

「体を鍛える」「料理スキルを上げる」「手続き関係をしっかりやる」

これについてはコツコツやることとやれるときにやることの両立が重要なので、
また年末にこのことについて振り返りたいと思います。

 

もう一方で、今年やらねばならないことは以下の3つです。

「後輩教育(再)」「プロジェクト完遂と次期検討」「世の流れについていく」

 

まず一つ目の後輩指導についてですが、昨年から本格的に後輩を指導する立場になって約1年が経ちました。今メインで見ているのは2人です。

簡単に言うと前期は優しく丁寧に、後期は求める水準を高くしてその高みに達していないようだと厳しい指導をするというスタンスで去年やってきました。

そして年末に博報堂で実践している「任せてみる/任せきる」指導法を本で読んでみて、「自分のやり方では彼らの当事者意識や内発的動機にアプローチできていないのかもしれない」ということと、「自分のやり方は個に依存したやり方になってるな」という気づきがありました。

 

そして、べスキャリで後輩指導もそこそこやってきて、正直この分野には少し自信があった分ここが一番自分のイメージとのギャップに悩んだところでした。

 

根本的には「自分の仕事の一部を渡している」という感覚があって、自分はそうなったときに「自分の納得いく成果物にしたい」という欲が結構あるので、なかなか任せてみてじっと見守るということができていなかったのです。

 

なので、明日からは何を任せる仕事とするのか決めて取り組んでみようと思います。といっても結局は意思統一が大事で、どうしても期限短くやらないといけないこともあるので、改めてどの仕事でどう成長していくかの残り3か月を通した期待値を午前中に設定してそれを午後に共有するぐらい頭を整理して臨みたいと思います。

 

そして、いよいよ本当に後輩たちに対して自分のノウハウを抽象度は少し高めなことも伝えなければならない時が来ているように思うので、これは目標ではなく出来たらやるものとしておこうと思います。

 

※大前提は彼らの尊厳を尊重することと、実験台だと割り切ることのバランスです。

 

2つ目の「プロジェクト完遂」わざわざここに書くことでもないので割愛して問題は3つめ「世の中の流れについていく」です。

自分のいる組織でもさすがに今までのビジネスのやり方だけではジリ貧だということで、海外に積極的に打って出ていく姿勢をとっていますが、まだ実になってはいません。そして自分の仕事ベースに落とし込んで考えると、確かに世の中の大企業とかが取り組んだIT施策にセキュリティや統制の面から近づけていく努力ができている実感はあり、これが自己肯定感につながっていますがこのスピード感がどうだったのかは改めて人材市場に打って出てみないとわからないところがあります。

 

ただ、個人的には来年はステイで再来年が変化の年になりそうな気がしているので、ここでいう変化についていくはもう少し大きな世の中の変化やそういったものです。

 

大きな流れは「会社に頼らないスキル」「新たな経済の登場」かなと思います。

(これを支える技術の進歩は大前提として)

 

 

話が飛ぶようですが昨年、仮想通貨投資をやってみたところ3か月で100万円近くの資産が増えました。普通に「ラッキー」という感じですが最近読んだ本を自分なりの解釈と合わせると「基軸通貨が仮想通貨に対して弱くなっている」ということであり、基軸通貨を支える今の経済概念から新たな経済観念への逃避が始まっているともいえるのでしょう。

 

自分が就活生時代からして、世の中変わりすぎです。

 

この変化をどういう立ち位置で生きていくのか。ライフサイクルでいうと「アーリーマジョリティ」あたりには居たいなと思って生きているのですがそれが今の自分の専門分野だけでなくもう少し視野を広げてみていかないとなりません。

でも視野を広げると自分の手触り感も離れていくので「ただ知る」ということになりがちです。ここをいかに手触り感をもって広げていけるか、もしくは広げたものに対して手触り感をもつことができるか。

 

このあたりを今年のテーマにしたいなと思います。

はや50日が経ちました

まぁはやいことはやいこと。もう年が明けて50日が経ったわけです。

今年の目標を「飛翔」なんて掲げてましたが、ちょっと怠けていたのでブログ再開します。

現在は仕事も落ち着いていて(定期異動発表前につき新しい案件がまだ降りてこない)、これは逆に「仕事してるからいい!」という言い訳が通用しないという後ろめたいことを思いつつ若干のぬるま湯の中に居ます。

こういう時に少しづつてがかりを見出そうということで、

ファシリテーション関係の勉強と情報セキュリティ関係の勉強をまったりやってます。

まったりやることの効果は一つ一つの言葉を反芻しながら学習できることです。時間を使って理解を深めるのは「心地よさ」と「身についてる感」があります。

一方で激流の中で学んでいるときは何もうまくいかないし、でも一方でその時の方が「気づいたら身になっている」ことが多いように思います。時間が経ったときに分かる的な。

 

と、最近思うのですが僕このパターンが多いのです。

いわゆる「高速でPDCA回す」的なかっこいい表現になんとなーく嫌悪感抱いていたのですが、高速でやるときは詰め込むこととこなすことでいっぱいいっぱいで気付いたら時が過ぎ去り、ゆっくり学ぶときは趣味の世界に入るので成果に結びつかないことが多い。

それでも経験を重ねることで身になってはいるのでしょうが、自己感覚として一致していないからなんとも気持ち悪さを感じる。

 

最近体調を崩した際にエネルギーが頭に集中することによるものだと学びを得ましたがそれと似たようなもので、これも自分の特性の一つなのだと思います。

 

とはいえ、いつまでもこの感覚に甘えているわけにもいかないので今日は外部のセミナーに行ってきます。テクニックではなく本質的な部分で学びがあれば良いなと思います。

 

フィードバックに関する振り返りと今年やっていきたいこと

こんばんは。2016年。

年が明けましたが何か昨日と変わったことがあるわけではありません。
強いて言えば昨日ゴルフの練習をした筋肉痛が来たことぐらいでしょう。
あとはお正月特別スカウトで柳田が..(以下省略

というわけで、新年初ブログは昨日とあまりテンションを変えずやってきたことの振り返り第3弾としてベスキャリの【フィードバック】について振り返ります。

 

去年、いや一昨年に実施したフィードバックプロジェクト。

 一昨年は自分の状態の悪い時期とも途中重なり、特に最後は若干自暴自棄になっていた面もあり詰め切れなかったという思いもありつつ迎えた今年でした。

やはり共通のものをアウトプットするときは、ついつい流れで進めてしまうことをきちんと定義して個人がそこにいる意味までできれば定義して進めたほうが良いなと思ったことを思い出します。

ただ、フィードバックに対していろんな意見を交換して自分の中で固定観念としてあった相手に届けるべきことだけでなく、どう届けるか。どう信頼関係を築いていくかということについて深く考えられたことはすごくよかったなと改めて思うのです。

 

今でも思い出すのがそもそも何のために作っているかの議論の時に社会人スタッフが成長するためなのか。社会人として守るべき基準を作っているのかという議論。最初にそこまで頭回せてればなぁと痛感したものの個人的に忘却してしまっていたのが本来の目的は後者だったこと。これは結構苦いかつ反省となる思い出であるとともにそもそもベスキャリにかかわるうえで後輩にはできれば成長に寄与したいと個人的に思っていたことを再確認したものでした。

 

そして、今年。

社会人スタッフ向けの勉強会を1度。学生スタッフ向けの勉強会は2度行いました。学生スタッフが社会人にフィードバックをもらうことは当たり前になってきたかつ皆が向上心を持って社会人にフィードバックを求めるようになったかなと感じています。

また、フィードバックを通じて学生スタッフと社会人の間で繋がりができたかなとも思います。学生の話を聞く機会を作る意味でもフィードバックを通じてできたことがあったかなと思います。

一方で個人的に課題となって感じてきたのは3つに集約できそうです。

①フィードバックをSVするの環境を回せていない

今年は事前共有ミーティングや事後振り返りがそもそもできなかったというのは反省としてあります。ビジネス講座の時はやりましたが、それでもこの極意書に沿ってという観点で整理できていなかったなと今になって思います。

また、毎回振り返りをして運営面のフィードバックを記録するなどの6月に改定した内容は自分自身読み返せていなかったなと反省です。と、ともに文章の改訂だけでなく今年度として誰がどんな役割をやるか。それもできればペアでということをきちんとコミュニケーションして進めていければよかったのかなぁと。これは来年下の代も本格的に巻き込んで取り組んだほうが良いと思うことです。(フォローなさすぎじゃね?というのは心の奥にそっとしまいますw)

 

②学生スタッフとの連携が不十分

ここは①とも関わってきますが、学生スタッフが用意している講座を当然ながら当日知るのでどこまでフィードバックが必要かも変わってきます。分かりやすいGDや面接関係ならまだしも自己分析や業界研究など求められる役割として純粋に参加者にFBする日もあるので社会人がこういうこと考えていて...ということを彼らと対話する全体として会話して1年を始めていく必要があるかなと感じた次第です。
なので、改善案としては6月ごろにやった第1回勉強会の時に社会人側のルーティンを伝えてどのタイミングでコミュニケーションしていくか。メインの窓口は誰にするか。そのことによってどんな仕事が増える一方でどんな価値があるかを合意したうえで進められるとよいかなと感じています。
今年プログラムにたくさん顔を出す中で試行錯誤してみた部分はあり、応用動作でできてしまうところもありますが大切なのはやはり基本的なところを合意しておくこかなと。

 

③提供している講座の適正な評価が出来ていない

今年社会人向けと学生スタッフ向けの講座をやって適切なフィードバックを得られていないなと。自分なりに問題意識をもって企画して当日その人たちが学んだ様子をみて満足してしまっていたなと。やはりメモを用意してどんな小さな講座でもきちんと振り返って次に生かせるものを残していかないと自己満足で終わってしまう。それが、組織として取り組む必要性を改めて感じています

 

来年じゃなくって今年どこまでかかわれるかという話はありますが、個人的に昨年度はマネジメント一年生だったので今年下への引継ぎも含めてマネジメントも誰かに譲っていけるようになりたいなと振り返って思っています。

 

なお、社会人としてそもそもあるべき姿やできることは別途考えようと思います。

今年をエニアグラム観点で振り返ってみる

年末・紅白歌合戦コブクロが出ないのも2回目。

つまり、観る番組がない私は9つの性格の本を引っ張り出して読んでました。

 

いくつかタイプ5として気になるフレーズがあったので書き残します。

まず1つ目は最近人付き合いをうまくできていると感じる場面とそうでもない場面とがあるように思うのですが、他者との安全距離を常に取ろうとすること。防御方法としてポーズをとること。得た情報によってその場にふさわしいポーズをアレンジする。これが出来ているときは僕は非常に社交的な人間に写ることだろう。非常に納得。

次は感情センターと思考センターの位置づけについて。感情より思考を重視する傾向があるために感情を自覚するのに時間がかかるということ。感情のこみあげてくる感覚は結構あるだろうと正直思うのだが、それを思考で予知してシミュレーションして例えば感動的な場面でも感情のこみあげはあるもののこういう展開だろうと試行することに集中して感情の表現を抑え込んでいる感覚は非常に納得である。

あとは人に会っている時よりその後に人をより感じるということ。大人数が苦手というわけではないのだが、人と会っているときはついうまくやろうとかそういう気持ちが先に来てふと風呂に入っているときとかに「あの時こう感じていたんだなあ」とか思い返すことが多い。

さて、ここまで改めてたしかに~と納得したことを書いてきたが今後の方向性についても考え書き残しておこうと思う。

★自分の感情と向き合い、動揺になれる・突発的なことに心構えを持つ

これは適宜感情を書き残してみることも大事かもしれない。個人的に動揺になれる手段として最近使っているのは動揺しないよう予測しておくことだが、言い方は悪いがそれで対処できないぐらいの同様には素直に受け止めて表現していきたいと思う。
断片的だが、今年学生スタッフのアウトプットには結構感情的になりそのことを取り繕って伝えてしまったなと思うところがあったのでそういうときこそが自分の殻を破る機会なのではないかと思った。

 

★実感や実体験を大切にする

上記と重なるがどんなに本を読んでも実感や実体験に勝るものはなくて今続けていられていることも実感実体験を伴うからなのだと再認識した。

 

★チャレンジ精神(あきらめずにやり続ける)をもつ

個人的に一番問題意識を感じているのがこのことである。とかく「ここは自分のテリトリーではないな」というときのあきらめが早い傾向を自覚している。これをうまく使いこなせているときは「あれは自分が手を下すことではないので他の人にやってもらお」という思考が働くのである。【これは自分が責任もってやる】と決めたことに対してはしっかりとやり切っていこうと思う。ただ、最近意識し始めたことでまだまだ少しづつだがこれまでならこなしでやっていたことを真剣にやれるようになったように思う。意識して続けていくのみである。

 

★人の集まるところで自分を表現する

たわいもない話とかがとかく苦手なのもあり、前でも書いた演じられるモード以外の本当の自分を表現していくのは新たな課題である。これはまだ体感覚にも頭の感覚も追いついていないので意識するところから始めてみよう。(そういうことを避けてきた自覚はある)

以上長くなったが改めてタイプ5を振り返ってみた。

眠いので明日の朝にでももう一度読み返してみよう。