コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

訃報を受けて

 4月5日に親戚が亡くなったとの知らせを今日受けた。最近家族周辺で訃報が多い。思えば今迄が少なすぎたのかもしれないが、本当に集中している。

 超身近な人という訳ではないのだが、今回の一連のことを通じて思ったこと、考えたことをまとめておきたいと思う。こんなことブログに普通は書くことじゃないかもしれないけど、ここならいいかなって自分では思っている。

 

 時系列でいうと昨年の10月頃、リンパ癌が発覚し、入院されていた。その時にお見舞いにいったが、お会いするのも2年ぶりぐらいであったがやはり弱っていることは間違いなかった。病気は本当に怖い。そして、ましてリンパ線となると手術も出来ず、抗がん剤での治療との話を聞いた。

 その後、一定の効果を見せ一次退院などもしていたが3月になって容態が急変したとのことだった。そして3月31日、僕が学生最後の日。父と祖母と祖母の弟さんと姉がお見舞いに行った。「これが最後」だと皆が覚悟していたようだった。もう帰った時には葬儀の話もしていたぐらいだ。僕は車の容量的にも入社準備的にも来なくていいとずっと言われていた。心に少しの後ろめたさを残しながら。

 

 そう、つまり自分にとっては昨年の10月がお別れだったのだ。正直、そのときお見舞いした時もその覚悟はしていたつもりだったが。お葬式にも行けないことも既定路線となっていた。(研修の関係で)

 

 そのお別れがこのメール一本で確定したのだ。ただそれだけの事実なのだ。人の一生は儚い。そんな片付け方もできてしまう。でも、僕に取っての本当のお別れとはいつなのだろう?

 「故人を偲んで〜」と、よくテレビでも報道でも言われるけど「故人を偲ぶ」とは何なんだろうか。そんな綺麗な言葉使って、葬っていくのだろうか。そんなことを思ったりする。結局、形的にはきっと滞り無く葬られていくのだが。

 

 

 その故人との思い出は一つだけ、鮮明なものがある。メールを見た時にその瞬間が完全にフラッシュバックされた。もしかしたら、これが僕なりの葬り方であり、本当に最後のお別れの瞬間なのかもしれない。僕の思い出の中にしっかり呼び戻されて、葬って、埋め込みますよ。って。これは、ただの自己満足かな。でも確認できないんだ。

 

 それは小学校の頃、少年野球をしていた僕は故人の家に家族で遊びに行った。その時に父親が無茶ぶりをしてきた

 

 「○○(故人)さんは小学校の校長先生で野球の指導してるから、ちょっと素振りでも見てもらえ!」

 

 家の居間でご飯食べていた時だ、しかもそこにバットはない。まして、僕は打撃にてんで自信が無かった。恥ずかしいに決まっているだろうが。まぁなんだかんだ一回振るまねをしてみたんだっけな。

 

 何を言われたかは覚えていない。その後どうなったとかも何も覚えていない。

 

 でもなんだかその人は優しく見守ってくれたような表情をしていた気がするのだ。完全に照れているふてくされている僕を見ながら。

 

 なぜだか訃報を聞いた瞬間にその情景が浮かんできた。病院で弱っていた姿ではなく。不思議なものだ。

 あれ、こんなこと前にもあったな。祖父が亡くなった時だ。あの時も病院で苦しんでいる祖父ではなく、一緒にうどん作っている情景だった。僕が靴を揃えないで二階に上がった時に怒っている祖父だった。一緒に阪神戦の中継と新聞を見ている祖父だった。

 

 もしかしたら、こういう情景が浮かぶことが本当のお別れなのかもしれない。

 そして、故人からの最後のメッセージなのかもしれない。

 

 そんな、下の世代を優しく(時には厳しく)見守れるような大人になれよ。って。

 

 わざわざこんなことをブログに書いたのは自分に正直になってみたかったから。ちゃんとアウトプットして考えたかったから。でもちゃんとまとめたかったから。きっとこのエントリーをいつか見返してる自分を想像しながら。

 

 なんだか吹っ切れたような、また思い出しちゃったような。人の死というのは未だに得体の知れないものである。

 

 

 一通り書き終わって、僕の好きなコブクロの蕾という曲をかけてみた。

 まさに故人を偲ぶ曲。これでお別れしよう。

 

 「散り際にもう一度開く花びらはあなたのように、聞こえない「がんばれ」を握った両手に何度もくれた。」

 

 なんだか、書いてみて、少し深まった気がした。そしてどこか落とし込まれた気がした、もちろん気持ち悪さを残しながら。

 

 僕はまた、「優しく開く、笑顔のような」蕾を探していくのだ。きっと。いや、探し続けていかなきゃいけないんだ。きっとあの人がそうしたように。

 

 今はただ、安らかにお眠りください。