コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

頭は下げるためにあるもの。膝は曲げるためにあるもの。

 おはようございます。いよいよ明日から社会人です。

 1か月家に帰れないので今日はてんてこまい!と思ってたら案外あっさり終わって、今日一日の予定(ひきこもり)を粛々と実行していこうと思います。ブログももう2エントリーぐらいしておけたらなって思っています。(まさに駆け込み投稿)

 昨日は夕方t@wの飲み会に参加してきました。社会人1年目のOBの方が4名と2年目の方が2名。そして僕の同級生である3期が10名ぐらいいらっしゃいました。そこでの気付いたことを書き残しておきます。

 まず、一番心に残った言葉は2年目のt@w創設者の言葉だそうですが、タイトルの

 

 「頭は下げるためにあるもの。膝は曲げるためにあるもの。」

 

 という言葉です。なんだよ、社会人ってそんな頭下げるだけの人種なのかよ。どんだけネガティブなんだよ。と、思うかもしれませんが、僕なりにポジティブに解釈してみると頭を下げたり、膝を曲げるのってきっと最終手段だと思うんですね。

 だから、何かを実現するのに必死にもがいて、頭を捻って、膝を前に動かして進めるもの。そして、最後の最後に覚悟をもって頭を下げて、膝を曲げて実現させるもの。

 そんな覚悟を持って仕事をしたらかっこいいな。と。そんな風に思ったのです。

 自分の経験と重ね合わせてみて、この部分が自分が物事を進めるときに圧倒的に欠如していた視点だったかもしれないなって思ったのです。

 

 この言葉って自分なりにすごくいろんなことを網羅していて、もう一人の先輩が上司に言われたとの事でおっしゃっていた「1年目だから?ふざけんじゃねぇよ。プロ意識もてよ。やれよ。」も、本当のプロ意識の先にあるものは頭を下げててでもやりきるということなのかもしれないと思ったのでした。

 ベスキャリを通して最初の頃って多少「プロ意識」を自分なりに意識していたなと思うのです。「サービスを提供してやってもらうんだから、厳しいこと言って当然っしょ」って思っていました。それが「プロ意識」として正しいのかは分からないけど。

 ただ、最後の方はみんなが打ち解けたこともあるけど「本当の自分をさらけ出す」心地よさのほうが大きかったかもしれない。以前より、「プロ意識」というものは自分の中では意識しなくなっている自分が居るなぁと最近ぼんやり感じていました。卒業旅行シーズンということもあるんですが。

 

 でも、明日からはまた自分なりのプロ意識を模索していこう。そんな風に思えた、t@wの飲み会でした。

 

 頭は下げるためにある。膝は曲げるためにある。

 

 すごくかっこいい言葉じゃないか。