コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

時流

 三国志がちょうど5巻まで読み終わりました。

 ちょうど諸葛孔明が登場したところです。曹操にはじまり、諸葛孔明で終わったようなものといわれる魏・呉・蜀の三国志

 

 ここまでのおさらいとしては劉備の誕生・関羽張飛との兄弟の契から歴戦の過程を描き、曹操の覇業がいよいよ形になってきた。その中で、戦功に応じた恩賞をもらうことのできない漢室の現実であったり、身分の壁、そしてそれでも「まだ時流でない。」という言葉とともに何度も戦いに、政治にまい進する。

 その中で、義を貫いたり、信念の為に策を巡らせたり、人を用いることを説いていたり、個人的に長編小説の面白さって、この人はこんな背景があって、こんな決断をしたよっていうのが登場人物それぞれに描かれているんだけど、絵とか背景とか思い出しながら想像しながらじゃないと読めないっていう。

 そして、歴史ものの良さはどれが史実でどれが虚構か、大きな流れの与えられた中でのストーリーの解釈の仕方なんじゃないかと思うのです。

 

 Twitterのように140文字で訴えかけてくるような文も素晴らしいし、

 言葉集のようなものも、本質的で面白い。

 長編小説は、示唆とストーリーに富んでいて面白い。

 個人的に「はまる」ことが多いのは長編小説ですが、いろんな本に自分の触れようとしなかった本にも少しづつ機会があって触れていくのはよいことのようです。

 

 で、タイトルですが、三国志の中でよく「時流」という言葉が出てきます。

 功を、賞を焦るのではなく、じっと時流を待つ。待つというよりはその時のために、備える、準備を整える、そしてその訪れを予感する。

 戦国時代(三国志の時代もそう定義してみる)と、どうしても生き急ぎが多くなるかと思うのですが、この言葉が頻出しているのにはきっとわけがあるのでしょう。

 もしくは、「時流」という言葉によって何か自分を納得させてるんじゃないか。という面もあるかもしれませんがね。

 

 自分に置き換えてみると、この時流をなんとなく感じつつも、時流に任せる勇気というのか、そんなにうまくいかないものだし、それはそれで今を大切にしたらそれはそれで時流にのっとっているのではないかとか、自分を納得させてしまいますね。

 時折、目的にかえって、そんなことを教えられる気がするのです。

 

 5巻読んだのでひと段落。ちょっと違う本を読んで、それが終わったらまた一気に残り5巻を読もうと思います。