コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

当事者意識って

 あらためてよくきかれる言葉なので、ちょっと昼休みに調べてみた。

 

 http://possession.hatenablog.com/entry/2013/12/08/162542

 

 ここのブログ然り、ここのブログのリンク先は結構おもしろかった。

 

 会社に入っていろんな人の働く基準、たぶん人生そのものへの当事者意識の置き方みたいなものに違いがあるんだなぁと思うとともに、でもやっぱりどこかに当事者意識間の高い人は魅力的だなぁと思うのです。高すぎてもついていけないですが。

 

 なんとなくこのへんのところをゆっくり考えてみたい。

 

 ベスキャリでも人生に当事者意識を持つことと、ビジコンに当事者意識をもつことがなかなかイコールにならなかったりする。(そもそも人生の当事者意識ってなんだよって話ですが)

 戦争に行っても国のために当事者意識をもつなら、「一億玉砕」とかそういう発想になりがちだけど(国の中で自分が大事な兵力だと考えると生きながらえるという選択肢も大いにあるのですが)自分自身の人生に当事者意識をもつなら、「しっかりと生き残らないと。」となるケースが多い気がするのです。

 

 もしかしたらこの社会から課される「当事者意識をもて」と自分が大切にしたい「当事者意識」が近ければ近いほどマッチングなのかもね。

 あ、ちょっとすっきりしたかもよ。

 しかし、自分が大切にしたい「当事者意識」がそんなに簡単に見つかることもないだろう。それは揺れ動くものでもあるしね。