メールの余韻
連続投稿になりますが、昨日は参加者向けにメールを一本打ちました。
打っていて思ったのですが、
「きっとこのメール自体に大した価値はないのだろう。」
と。メール自体というのはその文面自体に。
土曜日は最後にわざわざ時間もらって前で少しだけ話しました。
普段はそういうことするキャラじゃないんですがね。
そして突然話すと足が震えるんですw
なんでそんなことをして、更に上の方々もいるメールにぶっこんだのか。
それは去年と今年で明らかに心持が違うのは、
「本当にお客さんに恥じないものを作らなくちゃいけないんだなぁ。」
ということを認識しているかいないかな気がします。
去年のP社さんは棚からぼたもちというか、
もはや人事の方の個人的な野望に半ば付き合っているような感覚すらもって、
会場を貸していただいたり、人をそろえていただいてるにも関わらず、
なんだかすごく斜めからみていたように感じます。
そして、最終日に注意されたこと、お客さん扱いしなかったことを叱責されたときは正直「???」と思ったことを覚えています。
その立場から一転、実際に自分が休日を使ってベスキャリをやる立場になると、自分はこの場所に恩があるからやってられているんだなぁと感じることもあります。
やっぱり社会人側の勝手な都合を考えると、
「休日にでてきているんだから、せめて面白い物見せてくれよな!」
と思うと思うんです。というか、思うんです。
それなのに、大したものも作らずに。。。。
といいたいところでしょうが、それはきっとこちら側の都合なので、
「一生懸命やってうちのテーマを使って成長してくださいね!」
というのが相手(学生スタッフ)の価値観に寄り添った言い方になるのでしょう。
じゃぁ、学生を一番モチベートする言い方ってなんなんでしょうか。
「このビジコンでいい成績、プラン、チームともに作り上げたら君は就活無双だよ!」
なんてことをあまり論理的に説明する自信はないですがwそういうものなのでしょうか?ここは伝え方を見ていても本当に人それぞれなので、ちょっと考えてみるのも面白いかもね。
ただ、一方で思うけどね。
このベスキャリに投資する金額で一人釣れたらすごいお買い得だし、社会人から見ても純粋に学生とディスカッションやら見守れるのはすごいありがたいことだなって。
そんな関わり合いがきっとコミュニティを、コミュニティの中と外の関係を、そして社会を作っていくのでしょう。