コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

風がでてきた。

 昨日は23時に就寝しました。さぁ、今週もがんばりましょう。

 

 今週末は「風立ちぬ」を見てきました。

 見終わった最初の感想は、

 

 一体この映画で伝えたかったことは何だったのだろう?

 

 でした。

 

 飛行機技術者の物語にしては純粋に飛行機を求めた姿勢をそのまま爆撃機に応用しており(最後のシーンで少し回想がありましたが)、でも飛行機話に1時間ぐらい使う。

 超優秀な技術者がゼロ戦を作り上げるまでの物語に、まるで絵に描いたような美しい出会い、ただその美人は結核という当時不治の病とされていた病気だった。それもまた、美しさ。美人薄命というやつか。そして、度々登場するイタリア人。

 

 そんな中僕が思っていることは

 「あえて心の葛藤を描かない。心を夢の世界に映しだすことで、美しさにのみ焦点をあてている。」

 ある論評には

 「主人公は、美しさにしか興味がない」

 と書かれていました。

 

 そして最後の「生きねば」はどういう意味なのだろう。

 「つらくて、苦しくて、投げ出したくても、時に歯を食いしばって生きていかなければならない。」

 的な意味が一般的な「生きねば」だと思うのですが、

 どちらかというと映画の中では、

 

 好きなものに夢中になって生きること=生きる

 

 と定義されているように感じました。

 この好きなものに夢中になる。の感覚は古き良き時代の技術者という感じがします。(イメージですが)

 経営的視点とか、最近のそういった流行との対比を描きたかったのかもしれません。

 

 うーん。考察しはじめると面白く、かつまとまらず、背景が知りたくなりますね。

 映画自体の感想は微妙でしたが、なんでこの映画でこのメッセージなのかってところには興味をひかれる映画でした。

 その点、ネタ映画としての役割を忠実に果たした県庁おもてなし課よりも示唆深く、一方で何も提示されていない映画なのかもしれませんね。