コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

それだから日々はすぎてゆく

福島は会津にきました。


会津藩、白虎隊悲劇の場所も行きました。果たして彼らは何を持って死んでいったのでしょう。


幕末の悲劇のひとつ


なのでしょうか。


会津藩には十の掟なるものがあり、それを絶対に守るように子供の頃から教育されてきたのです。


彼らは燃える会津城をみて、飯盛山で自害しました。


その惨状に耐え切れずに。もしくはそう指示されていたのかもしれません。それが彼らにとっての掟に従うものだったのかもしれません。


ただ、その後の悲しみ、苦しみをそこで終わらせた彼らは、彼ら自身は悲劇ではないのかもしれません。


それでも人の死は悲劇です。


でも、最近自分の死はそこまで悲劇じゃない気がしてきました。


誰かの死が悲劇です。

自分の死はそこで感情が途絶えるけど、大事な人の死はそこからも感情が続いて行きます。人がいきる限り。たとえ、色あせることはあっても。


もしかしたら、そんな悲劇を全て理屈で片付けてしまえば楽なのかもしれません。というか、そうすれば悲劇というものはただの見世物で、ただの事実で終わるのかもしれません。そうすれば相手に何も期待もしなくていい。重荷を背負わせることもない。


でも、それでも、僕はきっと、割り切れずに、いきていくのです。もはや、時にコントロールできない不特定な誰かとの間の感情のために。

切り離せば、割り切れば、楽になってしまうもののために。

でも、手放したくない何かのために。


だから、どこか綺麗に会津の終わりが自分の終わりと割り切って逝った彼らの人生は辛くとも、らくではあったのかもしれません。


こんなこと書いたら不謹慎かな。

白虎隊、ちょっと調べてみようと思います。


昨日は感情を切り離そうとしました。すぱっと。一振りに。

それはもしかしたら彼等がなくなくしたことと、本質的には同じかもとか思いながら。


まあ、できないんだけどね。できないというか、したくないんだろうな。


だからこそ、それができた、彼等の死は美しくもあり、英雄的でもあるのかもしれませんね。


僕はまだ英雄にはなれないし、なりたくもないんだろう。と昨日思いました。


だから、自害は美しい。


僕はまだ美しくなくても、どうせなら斬られた人でありたい。

それは、甘えかもしれないけど、それでも良いと今は思ってる。


やはり人の死は人生を考えさせられます。


あと、旅行はご褒美です。ご褒美であるべきです。

今の自分は純粋にご褒美を享受できる状態ではなかったのかもしれません。