コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

全体最適を目指して動くこと

 土曜の夕方風呂場でどんな話の流れか不明確ですがこんな話が出たのです。

 

 「全体最適の果てに自分って必要なの?」

 

 そういえば、「世の中の仕組みをつくる。」という会社って結構ありますよね。規模感と言葉の大きさの整合性を踏まえるとあれっ?ってなるけど僕、結構こういうの好きなんです。個人的に。

 今の自分がここに勤めているのも、就活の時に「全体最適な状態にしたい」であったり、仕組みづくりみたいなものがしたいと思っていたからです。で、その時興味の強かった農業分野となった時に、あれ、ここなら全体最適考えられそう。そして、今の部署に至るわけです。

 と、なんだかきれいなストーリーを書いてみましたが、何かがおかしいのです。

 もし、本当に自分が思う全体最適になった結果、

 「あれ?もしかしたら自分もいらなくなるんじゃね?」

 と思うのです。というかぶっちゃけ就活の時はどこかそれでも良いと思ってました。良くないから真似しないようにね就活生のみなさん。

 

 さて、ここからが本題。そんなことを思って就活を終えた僕がベスキャリで仕事っぽいことをしていて考えが上書きされたことに気付いたのです。

 ベスキャリの頃も、途中からはいわゆる全体最適を目指して勝手に動いてました。この全体最適は僕が思い描いていた全体です。それは僕の視野の範囲で。そして、それをちゃんと共有してたかというと部分共有だったし、そこで代表と微妙に意見が食い違ったのかも知れません。そこは多いに反省です。

 で、広報終わりかけぐらいかな?仕事終わったどん!のはずが、気付いたらやったほうがよさそうな仕事が向こうからやってきていて、結果楽しくいろんなことに挑戦させてもらっていたわけです。

 

 このことから学んだことは大きく3つ

 ①何を「全体」と定義するかが大事

 ②その「最適」のために一生懸命にやっていれば気付いたら「自分にしかできない仕事」が増えているかもしれない。

 ③そして本当の「全体最適」なんて存在しないかもしれない。

 

 だからきっと当たり前のことなんだけど、「全体」の視野が広いほうがいいし、「全体」を見たうえで今の「個別」にとりかかっている感覚を持てたら強いだろうな。そして、それがいわゆる経営者視点ってやつなのかもしれないねぇ。

 という話をしていました。

 

 うーん話しているとすごい感覚的にしっくりきたんですが、文章にして説明するというのはやはり難しい。

 とりあえず確かなことは何事も体験と振り返りがあってこそ、気付きがあるということです。これからも経験もしていきたいし、ちゃんと復習できる人になりたいと、関わる人とはそういう関係を築いていきたいと。そんな風に思うのでした。

 

 なので、とりあえず僕は僕の部署で頑張ることに意味があるって思えたのでした。

 今はまだ僕なりの「最適」が何かでそれを実現するための力が何かも分かってないし、そもそも当事者意識が低いのかもしれません。そして、きっと今回は時間がかかることでしょう。

 一度形にしたことに意味はあると思うので、またブラッシュアップする機会を作りたいなぁ。