コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

重松清の「十字架」を読んでみた

 今日はダイヤが大幅に乱れているようです。そんな僕は8時10分には出社済ですが。

 そして、昨日読書途中に力尽きてうつぶせのまま電気つけっぱなし、お風呂にも入らず寝ていました。で5時30に目が覚めてお風呂に入って今に至ると。。。

 なんだか体が痛いですw

 

 さて、そんな僕が読んでいた本の話をします。

 重松清「十字架」
 http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%87%8D%E6%9D%BE-%E6%B8%85/dp/4062774410

 このブログでもとりあげた「とんび」の作者でありますが、今回の作品は中学二年生の同級生がいじめによって自殺したところから始まります。

 主人公の「僕」は小学校のころから「彼」と同級生で、でも中学に入るといじめられている「彼」を見殺しにした、にも関わらず遺書で「親友」と書かれたことによって彼の死に「巻き込まれた」少年です。

 

 Amazonには、

 

 "いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見て いただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。"

 

 テーマは「いじめ」というよりは

 「「その後」をがむしゃらに、苦しんで、生きていこうとした人たちの心理描写物語」

 といった物語でした。そこに特別なことはありません。「彼」が自殺したことを除いては。

 

 別に読もうと思っていたわけでもなく、なんとなく一人になりたくなって、なんとなく本屋に寄って、なんとなく手に取った物語でした。

 

 規模の多かれ少なかれ、僕は小学校時代でしたが、人間関係におけるいじめ、もしくはからかいというものは被害者にも加害者にもなりかけていたと思います。というか、もしその時の対象が何かのきっかけで自殺していたりしていたら、もしかしたら自分が、被害者や加害者になっていたのかもしれません。

 この本を読んで、そんな昔が呼び戻されました。昔の情景が感情とリンクしていきます。「あれ、あの時の俺つらかったんちゃう?」「あれ、あの時彼にしていたことはこの作品の中の人たちと変わらないんじゃないか?」

 でも、この作品でも触れられていましたが、人間はいつか忘れるんです。でも、それはきっぱりと忘れるものではなく寄せては返して忘れたり、不意によみがえったりするのでしょう。忘れる、思い出す。というよりは記憶の奥にしまいこまれる。呼び出される。という感覚なのかもしれません。

 

 そんな前半部分を経て、後半部分はこれからの話です。

 未来というものは分からないものです。人はやはり過去からしか物事を冷静に判断することはできないのかもしれません。でも、人は未来を生きていくのです。いろんな未来がやがて過去になり、経験になるのでしょう。

 でもきっと、いや、だからこそ、未来がある意味があるのかもしれません。

 

 で、一番不思議なことは結局、今、これを書いている僕はなぜこの本を求めたのでしょうか。いうなればもっとも感情が湧き上がる場所。それも醜い感情を捉える場所でもあります。

 自分の中で感じていること、これを言われてから気にしすぎているのかもしれませんが、自分の中にいる二人の自分。

 

 ひたすらに理性的で論理的でありたい自分と、感情であったり揺れ動くもやもやに身を任せてしまいたい自分。

 

 言い換えると、そういった感情すら言葉にして説明したい自分(もしくは感情を排除したい自分)と、ただ感情のままに生きてみたい自分といったほうが正しいかもしれません。

 こう、きれいに分割されるものでもないんですが。

 

 僕は仕事場だと、今やっていることが個人での勉強なこともあるんですが、やはり感情や極端な話人とのつながりを。排除して生きたくなってしまいます。

 それでももちろん、感情はついて回ります。というかたまに呼び出されます。

 

 だからこそ、僕はひたすらに感情に触れたかったのかもしれません。

 

 でも、読んでみて思ったことがあったのです。

 

 本を読んでいる自分は相手の感情が説明されている部分を理解しようとしている。

 結局、一番分からないのは今の自分の感情です。

 もしかしたら、それを説明したいがために、この「感情を説明されている」本を手に取ったのかもしれない。だから「感情をきれいに表現している」詩を書く(と僕が勝手に思っている)コブクロの曲を聴いているのかもしれない。

 

 状況は全く違うけど。でも、どこかで重ね合わせたり、違いをみつけたがっているのかもしれない。

 

 本当に不思議な朝です。

 

 でも、小説は言葉を、心を豊かにしてくれるかもしれません。

 豊かさの定義とかは考えるととまらなくなりそうなので、やめておきます。

 

 5分後には、業務(勉強)開始ですからね。