コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

大河ドラマって

 こんばんは。龍馬伝が無事一区切りしました。

 前半部分(海軍操練所解散、半平太の切腹)まで見ました。

 色んなシーンで感動して、またそのシーンを見たい!もっと深くじっくり見たい!と思ったところもあったりしたのでこれはDVD買っちゃう流れかもしれませんね。まぁこの先の社会人生活で見る時間を作るかは分かりませんが。

 

 で、今回は「大河ドラマ」について思うことがあったので書きます。

 

 「日本史上の人物や事件に焦点を当て、実在しない人物等が登場することも多く、作品によっては主人公が架空の人物の場合もある。」

 

 ということです。

 

 

 今回の龍馬伝をとってみても、現実ではそんなに登場人物全員と常にかかわってきたスーパー龍馬ではないでしょう。まして土佐弁ではなく関西弁を話したという説まであるそうです。

 そして、この大河ドラマあの司馬遼太郎の「竜馬がゆく」のドラマ化かと思いきや、完全にオリジナルストーリーなんですね。龍馬が脱藩するシーンとかで微妙に「竜馬がゆく」と違う場面もあったので気にしてたんですが。

 

 で、どうしても歴史もののドラマを見るとそれってただしいの?とか、あれ、なんか原作と違くない?みたいな感想をいつも抱いてしまうのですが、今回ので言えば「龍馬伝」はオリジナル作品なんですよね。

 普通のドラマだったら全部フィクションにしてしまえますが、大河ドラマはドラマとしてみるには歴史にそこまで忠実じゃなくてもいい。となりますが、やはり時代劇となると、過去の日本を題材にするなら正しい情報が欲しくなったりもします。

 

 大河ドラマを一般のドラマと割り切ってみるのか。歴史認識に基づいて現実と演出をわけるのか。わけているならばどこまでが資料に残っているのかとか知りたくなりますが、確実に眠い時間にやることではないなのでやめておきます。

 

 というわけで個人的に大河ドラマに対してなんとなく抱いていた疑問が「それは割り切るもんだ」と気付いたのが今日でした。