コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

ベスキャリ社会人として?

 今日こそちゃんとレポート書いて今週分キャッチアップしなくては。なんだか、こっちのブログを書いて満足してしまって提出用のレポートに身が入らないw(完全に無意味

 

 最近ちょっとだけベスキャリで考える機会があったので、ちゃんと書き残しておこうと思う。実際のところ今後どうなるのだろうということについて。そして、いつか後輩に適切なアドバイスができるように。

 今は正直、未だ分からない。というかこの数日で気付いたことをまとめておこうと思うのだ。既に長くなりそうだ。

 

 まず、参加者としての思い出、スタッフとして感じたことが前提としてあるわけである。僕はこのプログラムの主役は内定者の学生だと思っている。勿論、参加者の為の企画であることは間違いないのだが、主役は学生スタッフと呼ばれる人達だろう。

 そして、それをサポートする立場で社会人が居るのだとも思う。

 今はその社会人の立ち位置とベスキャリそのものの考え方が色々と混ざっているのかもしれない。

 個人的には、ベスキャリをやる価値(ここは先生と次期スタッフが考えるとこ)があって、そこに社会人がどう絡んでどう利用するかがあれば良いと思う。ここで一つ決定的なねじれが生じているわけだが、社会人スタッフを使う側の学生スタッフというなんとも。知識、経験すべてが基本的に上回っている。

 ただ、上回っていることと同感覚で成功体験に縛られている部分もある気もする。それが意識的に成功体験を排除してしようとしてもしきれないものがあるのかもしれない。

 ビジョンが毎年変わるなら社会人としてベスキャリの先輩との発言の仕方が違うビジョンを追いかけている場合もあるのだ。

 

 言い換えるとそれだけ学生スタッフで9日間のプログラムを創り上げるのは難しいということなのだ。全部を自分たちと先生だけで考え、あのプログラムを回していくことは難しいだろう。特に午後の講座とビジコンに関しては。

 社会人の視点からは講座の目的とかビジコンの意味とか逆算の意味とか、今だから分かることが本当にたくさんある。でも、そこでもがきながら創ったことも今の気付き二繋がっている。

 

 あの時いってた。

 「社会人になってからも使えるような、それが就活にも使えるからこんな講座にしよう!」

 そう、想像できていない社会人になった自分が身につけたいことをきっと社会人の人と一緒に創ったのかもしれない。

 

 目的から逆算しきれてたかというとそんなことは多分ない。一部出来ていたところもあっただろう。そして、社会人からは見えている学生スタッフに見えない視点が確実にたくさんあった。

 

 だから結局、このベスキャリのゴールがどこにあるのか。(学生スタッフの成長のさせ方と社会人の成長のさせ方とプログラム受講者の到達点と。)

 

 その辺りの話をいつか聞いてみたいのだ。先生に。