コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

バド同での唯一の挑戦(しようとしたこと)を振り返る

 おはようございます。昨日が卒業式でしたよ。

 卒業というものは、まだ実感が沸かないものです。本当にみんなと会えなくなるのかなぁ?そして、会えなくても「別にさびしくなんかないじゃん」と自分の心の奥が言っているようでそれがなんだかすごく切ない朝です。このネタでエントリーかけそうだな。

 

 前回のエントリーでサークルの事について書いていたんですが、昨日サークルの先輩や後輩からメッセージ(色紙)をいただいて、いいことを書いてくれた人がいたり、何か僕の心の閊えを救ってくれるメッセージをくれた人たちには本当に感謝です。

 

 で、そんな中実は僕がサークルで唯一挑戦しようとしたことがあったのです。

 それは忘れもしない、大学3年の秋。

 

 自分の背景から話すと、サークル運営には特に疑問ももたず、こういう仕組みが当たり前なんや。色紙に書いてあった言葉を借りると、なんだか外にいるだけだった感覚から、ヘラクレスを始めたり、帯広で農業インターンで組織作りしてみたり、インターン応募してみたりと、自分の中での組織に対する当事者意識が高まっていたころのお話です。バド同の夏合宿もすごく楽しくてバド同への愛着も少しでてきていたかな。

 

 サークルの背景を話すと、うちのサークルは学年が運営をするだけでなく「役員」という同期5人後輩5人からなる中心組織が存在しているのです。で、その「役員」が留学するから代わりの人で埋め合わせたいけどそんなこと前代未聞だよ!って先輩方が吠えていた時のお話です。

 

 まず、僕個人の感覚としてはそもそも一人役員が欠けたことぐらいでこんなに大騒ぎになるなんてどんだけ脆い組織だよ。っていうのが始まりだったのかな。サークルとしてはこの問題からいろんなところに波及していって、「会長の実力不足だ」とか「運営とかにあたって対立が深まってる」とかごたごたしていたなぁ。と。

 そのあたりの話は僕は絡んでいないので自分がただひたすら疑問に思っていたバド同組織の成り立ちと、そこから派生して起こったことに絞ってまとめようと思う。もう、ここまで読んだだけでいろんな人のいろんな場所に対する想いが交錯していたことが分かりますね。とりあえず、僕が焦点をあてたのはサークル組織の仕組みについてです。

 

 なんだかサークルの全体が(今思うと発言力ある人がそういう言い方だったから)役員を辞める本人を責めているように感じて、なんで送り出してやれないんだろう。閉じ込めるようなことになるんだろう。って思っていたのかな。その点僕らの代の会長は説明は下手だけど、そこは曲げずに送り出すって言っていたのは今でもかっこよかったと思ってる。(先輩がおっしゃっていたことも、自分がその組織をトップでまとめてきて、それがサークルにもろくにいかない人に生意気にも言われたらいらっとくるよね普通に。)

 

 結論から言うと、僕は「役員組織なんて一旦解体して学年で回す仕組み作ってみればいいんじゃない?」って思っていました。なので、この自分の考えを伝えるために、全体MTGで発言してみたんです。なんて言ったんだっけな。

 「僕はこれから価値観が多様化して、学生が一つの場に留まるだけでなく外との交流が活発になることもあると思います。なので、役員の仕事2年間を拘束すること自体が難しくなっていくのではないでしょうか。だから、そもそも役員ではなく学年全体が責任を持って1年間の運営に当るような仕組みも考えるべきだと思います。」

 って感じだったかな。もちろん言う時はもっと下手だけど。で、そこでレスポンスしてくれた先輩は

 「いきなりそんなことを言って、代替案も出さずに何言ってんの」

 って感じだったかな。そのあと3回ぐらい問答を繰り返したんだけど、そこは正直覚えてないのと、空気悪すぎおわたな感じだったので、手をひいた気がするなぁ。

 

 で、そういうことがあって状態が悪くなった僕は愚痴を吐きまくりましたね。今までが自分の考えや論理という大好きなものに頑固になっていたが故に?その理屈が受け入れられない。かつ聞いてすらもらえないことは人を攻撃することにつながりました。

 といっても直接攻撃することはないので、その時の自分の考えを裏垢という便利な道具にのせて、今思うとただただ愚痴ってた人でした。その先輩とはそれまでそこそこ仲良くさせてもらってたけどこじれていったし、自分としてもサークルにやっとなじめた時期を自らフイにした感じもあるし、まぁほんとあんなに色々と「失敗したのかなぁ」と思ったことはないです。

 その時のモチベーションが学年全体のMTGに繋がり、議論をまとめたりしたり、いろんな人に会って話を聞く、聞いてもらうことの繰り返しだったような気がします。

 

 あんなに「ただバドミントンでたまに運動すればいいやー」ってモチベでずーっとやってきたのにね。そして、ちょっと無理した結果はただの失敗と空回りとふがいなさを得て、人を傷つけただけだったと思っていたので、封印しようとしていたんだね。そしてそんな期間も実は1か月ぐらいモチベが高かっただけでベスキャリ始めたり、授業の方にモチベ見出したり、バド同としても僕の意見で盛り上がらせることもなかったので、なんだかなかったことにしようかと思っていたのかな。

 

 で、そんな日々を振り返って今思うことは別にそんな時期があったことに後悔はしていないってことです。反省はもっとしなきゃいけないけど。M2の先輩と下っ端としてやりあったことも、あの頃鍵垢作っちゃったことも、色んなことが中途半端で終わっちゃったことも、総じて恥ずかしいこともどこかで経験になっている気はしているのです。そう考えると僕にとってバド同ってすごい大きなきっかけだったんだな。って改めて思うのです。

 組織としてバドミントン同好会に提言する身ではもうなくなったので、今の役員組織はきっとしばらく順調に続いていくだろうと思います。このバド同の仕組みを作った人はどんな天才なんだろう。最後に色紙を渡すあたりも本当にすごい仕組みだと思う。ただ、これは自分ができなかったからみんなの前では言えないことだけどこのブログという超個人の最後のわがままとしては「一生懸命に運営しているのに自分たちの組織そのものについて無頓着なのはもったいないんじゃないかな?」とは思う事です。いつもの全体MTGが、ただその運営代をこきおろすことではなく、組織の発展に向かってくれることを願っています。ただ、そんなことができる後輩たちがいるような気もしています。僕は全然できませんでした。それがその時点での僕の実力というか力なのかな?と思います。これは日花里が色紙に書いてくれたことにもあることなので別エントリーでも。

 

 最後に、バドミントンそもそもそんなにやる気ないし、同期の中でもなんだか浮いてる感じがするし、先輩は優しい人もいるけど飲み会誘われないし、そんなネガティブメッセージを自分に言い聞かせてそれまでやってきてしまっていて、結局それは最後までこころのどこかで引きずっていたけど、友達だと思ってくれている人は友達だと思ってくれているのも知れて、なんだかその心の余裕がこういう記事を書くことにつながったのかもしれないね。

 

 この経験はいつかサークルの誰かと話す時が来るのかな?来たときはこのエントリーを読み返して話していけたら、もしかしたら社会人になって学生を振り返って学ぶことがあるかもしれないのかな?そんな期待も込めて、ひっそりと、だがしっかりとしまおうと思います。

 

 最後に書いた「一生懸命に運営しているのに自分たちの組織そのものについて無頓着なのはもったいないんじゃないかな?」はぼくが社会人になるにあたっての自戒です。僕はサークルの外にいたから疑問があっただけで、社会の当事者として、しかもとんでもなく大きな組織の一員として、頑張らないと。

 そう考えていくとやっぱり、ありがとう。バド同の皆さんって昨日の色紙で思いましたよ。