コバルトブルーからの飛翔

とりとめのない現実について書いていくブログ

終わらせるなんて難しいんだよ

昨日は所属していたバドミントンサークルの追い出し合宿でした。

組織とは、友情とは、仲間とは。頭のなかを猛スピードで駆け巡ります。

 

それらを受けて、「あ!〜すれば良かったんだ!」とか、「皆想いは一緒だったんだ!」とかそんな感慨にひたることは自分に関してはなさそうである。

 

自分も含めて、卒業生の挨拶を聞いていて、大別すると

①自分の事を話す

②自分の失敗を後輩に伝える。

③運営で上手くいかなかった反省を話す。

 

 それぞれにそれぞれの言いたい事を言ってた訳だが、

このサークル活動というものを成長の場、仲間づくりの場とすると

③の「誰かと何かを前に進める」上での葛藤は人に色々な示唆を与えるんだなって改めて思った。そして皆決まってこういう「勇気が無かった。」

自分の意見を相手に伝える勇気。自分の存在を相手に示す勇気。

そして、相手に自分の意見を分かりやすく伝える努力。

組織として機能するには空洞化して何も考えないか、突き詰めて話し合う必要があるんだろう。でも、そんなことに気付けるのは大学という期間では卒業のときぐらいかもしれない。

かくいう私は、そもそもバド同で残した物が無いので、よくするために伝える事も、そもそもあまり仲間を作っていなかったので、その時点で反省ですね。こういうとき役職は本当に便利だと思う。もちろん自発的リーダーになれれば一番良いのだが。

僕らの代は関東大震災があり、その時の運営の団結?は盛り上がりを見せていたようだ。(副班として参加したものの運営は気付けばノータッチ)

そんな自分に存在価値をしっかりと見いだせていなかったのもまた事実だ。

そして、僕にとってサークルは楽しむ場という以上に何か心の閊えのような存在になっていたと思う。もちろん運動する事は楽しかったけれど。それこそ「間違いの無い」「挑戦しない」サークル活動だったわけである。やはりそこはしっかりと受け止めようと思った。

 

皆が皆想いを曝け出す場。それが、卒業生としての最後の場となったわけであるが、自分が喋った事をしまうのも、皆が喋った事をしまうのも、こんな振り返りがもっと早く出来ていたら、きっと一人一人の価値観がぶつけられたのかもしれない。感情論ではなく価値観論。

このサークルという不思議な時間を経験した事、そしてしまい込む事は次のステップまでに正直一番億劫なことだと分かっていて、分かっていたから後輩に迷惑かけても今回の合宿に来て、やっぱり色んな物を受け入れて次に進むしかないなと思ったのです。

 

さて、今日は帰るだけ。色んな人と色んな話がしてみたい気もするけれど、まずは自分の立ち位置をしっかり受け入れよう。